2012年01月03日
お手軽いけばなのススメ 36
華道十徳、第八は魂精養生。生花を生活の一部にすることで常に心を平静に保つことができ、その結果、長生きできるというのです。
何事があっても泰然自若というのは大きな人の特徴ですね。逆に小さなことで慌てふためく人を日本人は軽蔑してきました。生花教師であるからにはお手本になりたいものですが、電車で切符をなくしては改札口で大慌て、という始末ですから まだまだ修行が足りません。精算所があるといいのですが。
また、新渡戸稲造が「武士道」のなかで指摘していることですが、果敢な行為が勇気の動的表現であるのに対し、平静さは勇気の静的表現でもあります。
昨今では生花というと女性の習い事というのが一般的な見方でしょうが、その目指すところは武士道にも通じる高邁な境地。生花を通じてそのような平静さを身につけられるというのですから生花は精神修養だということになります。
実際、芸道という言葉があるとおり、芸術を精神修養とするのは日本の中世に特徴的な見方。「池坊専応口伝」でも華道即ち人間修養とされています。
西洋の芸術が概して人間中心で自然とは隔離したものであるのに対し、日本では、特に生花では自然と芸術は一体化しています。自然の本質や生命が現れたものが芸術。そこに美がある。それを達成するためには修行が必要というわけです。
難しいのは生花のこうした精神的な面をどう伝えていくか、ということ。生花が国際化したのは戦後でしょうが、手芸としての生花は海外に伝わったものの、人間修養としての生花はほとんど伝わっていません。
実は1930年代に日本国内で生花の精神性を否定する動きがあったのです。戦後、拡大した生花流派の多くがこの影響下にあります。これについては、いつかお話しする機会があるかもしれません。
今月はクラウンの此処さんに生けた正月の花。竹を固定するため器の中には割ったブロックを詰め込んでいます。
2011年12月17日
お手軽いけばなのススメ 35
前回は華道十徳第七項の諸悪離別が、第二項の無意無念に似ていながらわずかに違うという話でした。どちらもストレス解消には違いないのですが。その小さな違いを掘り下げると生花の隠された本質が明らかになるかもしれないと、大風呂敷を広げたのでした
ところで、華道十徳のなかで心理状態(英語でState)に関する事項は上の二項に加え第三の徳、不語独楽。実はこの三項、ある観点から見直すと絶妙につながっているのです。このつながりが見えた時、実は私も驚きました。論文ではないので簡単に話しましょう。
豆まきという行事がありますね。「鬼は外、福は内」とやります。「鬼は外」とはつまり災厄を除去するわけで、ケガレをはらうのです。これは即ち諸悪離別と同じこと。鬼が外に追い払われると、日常的な中立の状態に戻ります。この中立状態を民俗学ではケと言います。ケが枯れるとケガレです。「福は内」とは非日常的なハレの状態を招くこと。つまり、不語独楽を経て、無意無念に至ること。
説明不足ではありますが、要するに生花の心理的効果を述べた三項目はその背後に神道の祝祭理論を隠していたわけです。生花と神道儀礼を比較しつつ論じるのは私の生花論の導入部分。来年末に大学に提出予定です。
となると、毎週生花教室に通うのは毎週週豆まきをやるようなもの。精神衛生上極めていいことだということになります。
神道というと仏教、キリスト教などの世界宗教に対して民俗宗教だと、なにか程度の低いもののように言う方もありますが、それは勉強不足。最近、ラ・トローブ大学のD. Tracy助教授からアボリジニの自然観が近代科学の行き詰まりを打破するのに有効かも、というお話を伺い、感銘を受けましたが、神道にもそれくらいの力があります。
今月の作例は我が家でホストしたカジュアルな結婚披露宴のために用意した作品。新郎は花菱のシェフで、彼が丹誠込めて作った素晴らしい料理の引き立て役といったところ。クリスマスが近かったことから柊の葉、赤い実、銀に塗ったキウイのツルを加えました。花留めには手軽なオアシスを使っています。
2011年11月27日
生花コンクール
生花ギャラリー・オーストラリアではオンライン生花コンクール実施中。
生花作品のイメージ投稿募集中です。
詳しくは次まで。
http://ikebanaaustralia.blogspot.com/p/blog-page.html
2011年11月01日
お手軽いけばなのススメ 34
華道十徳、その七は諸悪離別。生花をやると嫌なこと、悪い考えが消え去るということ。第二項、花は他念なしに少し似ていますね。実質的には同じ内容で、要するにストレス解消に役立つということです。
第二項が優雅な心境に到達できるというプラス作用を強調しているのに対し、こちらは悪い想念に捕われるというマイナス状況から自由になれるという側面に注目しているのです。前者が心の充電、後者が心の浄化だと言えるでしょう。
「生花をやるとすっきりするよ」と簡単に言ってしまうのではなく、あえて二つに分けているところ、自分の心理をしっかり分析している感じがしますね。
なるほどね、とここまで私の話についてきて下さった方も、この先はちょっと戸惑われるかもしれません。実は、第二項「無意無念」と第七項「諸悪離別」を一対にして考えと、生花の隠された本質が明らかになるのです。ストレス解消効果とひとつにしてしまってもいいものをなぜあえて二つに分けているのでしょう?その両者にはわずかな違いしかないのですが、そこにこだわってみると意外にも重大な点が見えてくるのです。
原典にも書かれていない隠された生花の本質を探り出して、新説を語ろうというのでから少々もったいぶります。生花の奥の深さが明らかになる続きは次回とさせていただきます。
さて、今月も手軽に作ることができるクールな作品を紹介します。まず、ドラセナの葉をホチキスで留めます。いくつか作ってみて、それらを組み合わせるときに可能性をあれこれ瞑想しましょう。器と面白い関係ができたらオンシジウムのアクセントを追加。葉の込み入った部分に突き刺して留めます。
ところで11月も私にとっては忙しい月です。8日にトヨタ彫刻展のオープニング、12日から18日までArmadaleのKings Arcadeで新保逍滄社中生花展を開催します。ご都合が付きましたら是非いらっしゃって下さい。
http://www.shoso.com.au
2011年10月04日
お手軽いけばなのススメ 33
華道十徳、その六は席上常香。いつも香りの良い花の中にいることができるというメリットがあるというのです。
花の香りをかいだら気持ちがすっきりした、という経験は多くの方がお持ちでしょう。 私も子供の頃、通学途中、ある家の前を通ると決まって金木犀の香りがしたことを思い出します。寒い時期でしたが気分がすっと明るくなりました。当地、メルボルンの植木屋で金木犀、銀木犀を見つけた時は嬉しくて、双方買ってきましたが、金木犀はまだ花を咲かせてくれません。
さらに落ち込んだ時、不安や怒りに心が振り回されている時に思いがけず花の良い香りに触れたとします。それが詩的な感動にも似た体験だったなどということも時に起こるわけです。とすれば、一瞬に心の雲が晴れ、心が正常に戻るということにもなるでしょう。アロマセラピーはきっとそのような心が縛られた状態から人を解放する効果をめざしているのでしょう。それは一時的な気分転換以上の効果で、より深い心理的なものです。
同様に生け花でも花の良い香りに触れることが「ちょっと心が軌道を外れていたな」とか「自分の中にあるもっと大いなるものを大切に生きなければ」というようなスピリチャルな気付きをもたらしてくれるかもしれません。
生け花をやることで良い香りに包まれる時間を生活に取り入れる。すると、精神状態がよくなり、気分よく生活できるというだけでなく、人間性向上に役立つということも多いにあるわけです。さあ、生け花やってみようかという気持ちになってきたでしょう?華道十徳の話はもうしばらく続きます。
今月の作品は教室の余り物で作った小品。立方体の花器ですので中に一文字の枝を対角線に入れます。これで仕掛けは十分。珍しい花序も花留めに利用しています。カクカクした花器の表情をカクカクのボケの枝でさらに強調。黄色のガーベラをメインのストックの背後に覗かせ遊んでいます。
2011年09月01日
お手軽いけばなのススメ 32
華道十徳、その五は衆人敬愛。生花をやりますと自然と品格が身に付き、人から尊敬されるということ。
実は華道十徳の徳という概念はあいまいです。項目をリストするのは仏教の得意技。四諦、五蘊、六波羅蜜、七施、八大人覚、十牛図、十二支縁起などいろいろありますが、各項目が厳密にほぼ同格に列挙されます。それに対し、華道十徳では少々いいかげん。こちらで補足解釈していくことになるのです。
ですから衆人敬愛の解釈も要注意。「生花で師範を取れば先生などと言われるようになりますよ。いいでしょう?」というような解釈では誤解が生じます。通常、先生とは医師や学校の教師、少なくとも大卒。しかし、生花の先生なら学歴不問。にもかかわらず立派な肩書きをお持ちの方が多いようです。通常の方法で先生になれなかった方が生花で先生になり自分に欠けているものを補っているのではないかと時に心配になったりします。そういう方は外国人にもあるでしょう。もちろん大部分の生花教師は通常以上に良識ある方々ですが。
こんなことを書くと同業者に嫌われそうですが、生花も所詮ひとつの技術。さほど特別なものではありません。理髪や寿司作りと同じようなもの。いくら腕が上がっても教授と称する庭師、寿司職人はいません。先生と呼びかけても叱られます。花職人もその謙虚さに学びたいもの。
では衆人敬愛をどう解釈するか。先生と呼ばれる立場に容易になれるのに品格はなかなか身につかないのが実状。そこで、そのタイトルにふさわしく敬愛されるよう通常以上に自分を磨いていく必要があるのだと、努力を喚起する提言と解釈するのが正しいのです。学歴などにこだわる必要はありませんが、読むのは女性週刊誌、見るのはお笑い番組、伝言ネットの新保の記事は飛ばし読み、というようなことではいけないのです(笑)。そんな先生の作品はやはりその程度のもの。
今月は華やかな作品を紹介します。レディ・スーザン・ルヌーフさん宅のパーティーに生けた迎え花。依頼主のある仕事は遊芸とは違います。自己満足なだけの作品では拒否されます。厳しい条件下で依頼主の期待以上のものを作らなければいけません。今回はとても喜んでいただけたようです。作品の土台になっている枝のオブジェに試験管を取り付け、花を挿しています。
2011年07月30日
お手軽いけばなのススメ 31
華道十徳、その四は草木知名。生花をやりますと草木の名前をたくさん覚えます。さらに、草木の性質、はかなさ、時期なども自然に身につきます。しかし、草木の名前や性質を知ることが教養だ、ましてや徳になると言われても、多忙な現代社会に生きる私達には簡単に納得できないのではないでしょうか。そんな自然についての知識が何の役に立つの?となるわけです。
説明は難しくなりますがまず徳とは人徳のこと。自己の利益ということではありません。むしろ他を利するような特性のこと。それを人は古来尊重してきたわけです。あるいは徳とは人格の根本というか到達点でしょうか。分かりにくいですね。おそらく徳への入口にあるのが教養で、こちらは分かりやすい。
オーストラリアに初めて来た頃のことです。ある友人宅にしばらく滞在しましたが、彼女の父親は大学の心理学の教授でした。「日本人は米を食べるかね?」なんていう話をして下さいます。英語が下手ですから頭の程度もたいしたことはなかろうと思われたのでしょう。それからどんな本が好きかという話になり、シェークスピアほか数名の作家の名前をあげました。シェークスピアの劇作は何を読んだと問われたので、「全て読んでます」と答えると、とたんに彼の態度が変わったものです。水戸黄門の印籠の紋所みたいだなと思いましたが、それが教養の力。実際は読んだものが身について教養と言えるのでしょう。私の場合少々あやしいところ。
しかし、以前ならともかく最近は多読家もさほど評価されないようです。同様に草木の名前を知っていると他人に侮られないとか、教養ある人間と思われるとかいうことも少ないでしょうね。ただ、それを評価してくれる人が少数ですが確かにいます。さらに他人の評価に関わりなく、その知識の価値をいつか自分で実感できることがあるでしょう。いい本が自分の内面を豊かにしてくれるように。そうなって初めて草木知名が教養であり、徳だという主張を納得できるのだと思います。
今回の作例も簡単な小品。まず、カラーを3本固定。足元には輪ゴム、花の首下には爪楊枝を見せないように使います。花器に茎のコミ。そこへカラーを輪ゴムで留めます。足元にドラセナを優雅に、清々しく。モダンな洗面所にでもいかがでしょう。


